YOSHIGA CARDIFF

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1610のカーディフ(スピードの地図)


ウ ェ ー ル ズ 諸 都 市

Llで始まる地名はここにあります

  • アベルヴァン (Aberfan)

    マーサー・ティドヴィルの南7キロの地にある村の名。1966年10月21日の午前、アベルヴァンの村の小学校を含む一帯が、崩れれたボタ山の下に埋まり、144名の死者を出す「アベルヴァンの悲劇」が起きた。

  • アベルガベニ (Abergavenny)

    モンマスの西20Kmにある背後に山が連なる市場町。この町のすぐ西をモンマスシャー・アンド・ブレコン運河が流れている。

  • アベルドヴェイ (Aberdovey) アベリストゥイスの北、ダヴィ川の河口付近。

  • アベリストゥイス(Aberystwyth)

    西ウェールズのカーディガン湾に面する行政都市。大学の町でもあり、ウェールズ大学の中でも最も古いアベリストゥイス校やウェールズ国立図書館がある。アベリストゥイス城は1109年に、町は城の周囲にエドワード一世により、1277年に造られた。アベリストゥイスからデビルズ・ブリッジまでミニSL鉄道が延びている。美しい風景画楽しめる。

  • アムルック(Amluch)

    アングルシー島の北部海岸にある町。パリス・マウンテンで採掘された銅鉱石を積み出 す港町として栄える。

  • アングルシー島(Anglesey)

    北西ウェールズにあるウェールズ最大の島。平たんな土地で農業が盛んであり、かってはアングルシー島一つで全ウェールズが養えると言われたほどであった。西暦61年、ローマのスエトニウス・パウリヌスはこの地のドルイドを攻撃、ドルイド教徒の神聖な森を破壊した。9世紀から13世紀の間、ウェールズ王が支配する。1282年、エドワード1世により征服される。テューダー家の発祥の地。チュウダー朝の始祖ヘンリー・チューダーは南ウェールズのペンブローク城で生まれたが、チューダー家はアングルシー島を本拠地をする勢力であった。島の北端からはアイルランドへのフェリーが出ている。メナイ海峡には美しい吊り橋のメナイ・ブリッジが島と本土を結んでいる。またこの橋からほど遠くない場所に、世界でももっとも長い地名の町がある。その名前は

    Llanfairpwllgwyngyll-gogerychuyrndrobwll-llantysiliogogogoch

    と言う。

  • ウィットフォード (Whitford)

    フリントシャー、ホーリーウエルの北西数キロの地。

    マイン・アクイヴァンのケルティック・クロス

  • ウィットランド(Whitland)

    ウィットランドは、カーマーゼンの西20キロの地にある市場町。その町の1キロ北に、1143年、シトー修道会によって、ウィットランド修道院が建てられた。オワイン・グリン・ドゥールの行った戦いと、ヘンリー8世の修道院解散令のため、建物は破壊された。930年、ハウエル善王はここで、当時のブリテン島でもっとも初期の議会を開いた。

  • ウェルッシュプール(Welshpool)

    イングランドとウェールズの国境の町であり、活気にあふれた市場の町でもある。 スランフェア軽便鉄道がウェルッシュプール、スランフェアカエレニオン間の起伏に富む丘陵地帯を走っている。

  • ウェンタ・シルルム(Venta Silurum)

    カイルウェントのこと。ウェンタ・シルルムとはシルレス族の町の意味。

    シルレス族 (Silures)

    南東ウェールズのケルト人部族。43年頃ロチェスタ付近の戦いでローマ軍に敗れ、ウェールズに逃れたカラタクス(ウェールズでの名はカラドッグ)の懇請により、ローマ軍と戦う。カラタクスが捕虜となった後もローマ軍への抵抗を続ける。51年頃にはローマ軍を打ち破ったが、75年頃までにはその抵抗運動は終わった。

  • カウブリッジ(Cowbridge)

    カーディフとブリジェンドの中間にあるこの古い町は、ベイル・オブ・グラモーガンの放牧農業地帯の中心地であり、14世紀の町の城壁跡が残っている。

  • カイルレオン(Caerleon)

    南ウェールズ、ニューポートの北東四・八キロの地点にある村。 西暦75年に30あまりあるローマ軍団の一つ、第2アウグストゥス軍団の砦としてアスク川(Usk)のほとりに築かれた町。 現在ローマ浴場、円形競技場、兵舎跡等が発掘されている。ローマの占領時にはイスカ・シルルム(Isca Silurum)として知られる。

  • カイルウェント(ウェンタ・シルルム)(Caerwent / Venta Silurum)

    グエント州カルディコットの北に位置する町。ラテン名、ウェンタ・シルルム。

  • カーディフ (Cardiff)

    ブリストル湾に臨む、ウェールズ南部の港市。ウェールズの首都。一九世紀になり、石炭積出港として飛躍的に発展する。製鉄、金属、化学、製粉、ビールなどの工業が行われる。ウェールズ大学カーディフ校や、ウェールズ国立博物館がある。

  • カーナーボン(Caernarfon)

    北ウェールズ、メナイ海峡に面する町。エドワード1世はウェールズ攻略のため、北ウェールズの要衝ごとに城を築いた。カナーボン城で生まれた王子、エドワード・オブ・カーナーボンを同王はウェールズ融和政策として1301年、プリンス・オブ・ウェールズに叙す。後のエドワード2世がこれである。以来英国皇太子はプリンス・オブ・ウェールズと称す。現在のチャールズ王子の立太子式は1969年、カーナーボン城で執り行われた。清教徒革命時はこの城はクロムウェルの要塞の一つとなった。カーナーヴォン城より東に800メートルの地のセゴンティアムにローマ軍の砦跡がある。

  • カーマーゼン(Carmarthen)

    酪農、炭鉱、スレート採石、織物業の町。1227年にタウンとしての特許を得る。かってローマの砦、モリダナムがあった場所。A40、A48の各道路、および鉄道の集中する交通の要衝でもある。ウェールズ名は Caerfyrddin、すなわち「マーリンの町」という意味になる。マーリン(Merlin)はイギリスで最も有名な魔法使いであり、アーサー王伝説にも登場するが、5〜6世紀頃この町で生まれたとされている。ここには一本の樫の木があり、その木が倒れないりこの町は安全であるという伝説がある。 モリドゥヌム(Moridunum)はローマ時代の古名。

    カーマーゼンの市場

  • カレウ(Carew)

    ペンブロークの北東8Kmの地。画家ターナーの描いた有名なカレウ城がある。15世紀後半の南ウェールズの事実上の支配者であり、ヘンリー7世の腹心でもありチューダー王朝の成立に功績のあったサー・リース・アップ・トーマス・オブ・ディネヴァ( Sir Rhysap Thomas of Dinefwr)により、今日の城の形態となった。1033年、デハイバースの王となったハウエル善王の曾孫にあたるマレディズ・アプ・イウインを記念して11世紀に建てられたケルティッククロスがカレウ城の入口に建っている。またカレウ城は、ボズワースの戦いで功績のあったリース・アプ・トマスが、ガーター勲章を授けられたことを祝い、1507年4月、600人の以上の貴族やジェントリを招き、馬上模擬戦を行った場所でもある。

  • カルディコット(Caldicot)

    セブン川の河口に面した町で、カルディコット城がある。近くにウェールズの名門ゴルフ・クラブ、セント・ピエールがあ。

  • サハース(Sycharth) オズウェストリーの南、数マイルの地点で、ウェールズ・イングランド国境に接する小村スランジェッドウィンに、一四世紀のウェールズ王オワイン・グリン・ドゥールのサハースと呼ばれる砦があった。

  • スウォンジー(Swansea)

    スウォンジー湾に面したタウイ(Tawe)川の河口に位置するウェールズでカーディフに続く大都市。18世紀以降、銅やその他の金属産業が発達し、また重要な港湾都市ともなった。第2次大戦で空襲を受ける。詩人ディラン・トーマスの生まれ町。

  • ストラータ・フロリダ (Strata Florida)

    中部ウェールズ、アベリストゥイスの南東、約25キロ、トレガロンの北東10キロの現在ポントリッドヴェンディガイドという村のある場所に、1164年に建てられたシトー修道会の修道院。現在は廃虚となっているが、その美しいノルマン式アーチの門は特に有名。伝説によれば、ウェールズの有名な14世紀の詩人、ダヴィッズ・アプ・グウィリムがここに埋葬されているという。

  • セント・アサフ (St Asaph)

    北ウェールズのエルイ川河畔にある英国でもっとも小さな都市(シティ)の一つであり、また英国で、もっとも小さな大聖堂があることでも有名。この大聖堂は、五三七年に建設され、二度破壊された。ジェフリー・オブ・モンマスは、晩年この大聖堂の司教に任じられたが、実際にこの地に赴任することはなかった。

  • コンウイ(Conwy)

    イングランド王エドワード1世はウェールズ征服のため北ウェールズに一連の築城を行った。コンウイ河の 河口 に強大な城を築き、城壁で町を囲み、イングランドの商人や貿易商をその地に留めようとした。城壁は現在も完全な形で残っている。

  • セント・デイヴィッズ(St. David's)

    南西ウェールズ、ペンブロークシャーにある聖デイヴィッド大聖堂のあるシティ。大聖堂はウェールズの守護聖人となった聖デイヴィッドにより六世紀に設立された。12世紀に建設されたこの大聖堂のそばには1349年に建てられ、15世紀に破壊されたビショップ・パレスの廃墟もある。なお、聖デイヴィッド(St David / Dewi: ?-589?)はウェールズの守護聖人。ウェールズのメネヴィア、現在のセント・デイヴィッズの僧院長であった。言い伝えによると、母親は聖ノン、父親はケレディギオンの王の息子サントという。

  • チェプストウ(Chepstow)

    イングランドとウェールズの国境の町。チェプストウ城があり、城のそばをワイ川が流れている。チェプストウからモンマスまではワイ渓谷で大変風景のよいところである。ワイ川ぞいには昔イングランド側のマーシャ国の国王オッファが築いた堀、オッファズ・ダイクがある。またワイ川のほとりにはティンターン・アビーの廃墟がある。19世紀のロマン派詩人ワーズワスや画家ターナーも訪れた名所。

  • ディナス・エムリス (Dinas Emrys)

    北ウェールズ、ベズゲレートの西、スノードン山南麓のグイナント渓谷にあるディナス湖の付近。

  • ディナス・ポウイス (Dinas Powys)

    南グラモーガン州、カーディフ近郊の地。新石器時代の丘上保累(ヒル・フォート)の跡に、 五〜六世紀にかけて豪族の館があった。発掘の結果、ワインの壺等が発見され、この地域が地中海地域と依然として交易が行われていたことが分かった。

  • ディノリック (Dinorwic)

    北ウェールズ、グウィネズ州、カナーヴォンの北東五キロの町。旧ディノリック荘園(マナー)はスランザインニオレンとスランベリスのほぼ全教区を含んだ。

  • テンビー(Tenby)

    カーマーゼン湾の西の半島に位置する町。テンビー城の城壁に囲まれた古くからの町で、現在はペンブロークシャーのリゾート地として有名。「オルダリー・マーナーの庭のドレリア・マックニール」や「ディラン・トーマス」の肖像画で有名なウェールズを代表する今世紀の画家、オーガスタス・ジョン(Augustus John)の生まれた町でもある。彼の作品はカーディフのウェールズ国立美術館に多く所蔵されている。人口4,950人

  • トレマドック (Tremadoc)

     北ウェールズのグラスリン川の河口にある町。マドックスの住んでいたマナー・ハウスがある。そこはまたアラビアのロレンスとして有名なT・E・ロレンスの生誕地でもある。

  • ニース(Neath)

    南ウェールズ、スウォンジーの北東10Kmの地にある工業の町。 18世紀より銅産業の町として有名。当時、銅は海軍の艦艇のボルトや船体を覆う金属として大変需要があった。かつてローマ軍の砦、ニディアムのあった所。1129年、この地にシート派のニース修道院が建てられた。

  • ニュータウン (Newtown)

    中部ウェールズのセヴァン渓谷にある町。ウェールズのフランネル産業の発祥地。ロバート・オーエンが生まれ、埋葬された町。

  • ニューポート(Newport: Gwent)(グウェント)

    南ウェールズ、グウェント州の港町。カーディフの北東20Kmの地。スウォンジーに続く港と製鉄の町。地理的には、セヴン・ブリッジからロンドン、南イングランドまたロス・オン・ワイからミッドランド地方へと高速自動車道で結ばれ、ニューポートは輸出入港としてウェールズの経済の重要な位置を占めている。また日本車の輸入港ともなっている。この地で1839年、ニューポート暴動が起きる。

    ニューポート暴動(Chartist affray at Newport)

    ロンドンのコンヴェンションから南ウェールズに派遣されていた活動家ヘンリー・ヴィンセントが1839年5月7日に逮捕され、8月に有罪判決を受けたことに端を発するチャーティスト暴動。その暴動の目的は不明のままである。モンマスの監獄に収監されるている彼やその仲間が過酷な取り扱いを受けているという噂は、モンマスシャーの坑夫を憤慨させた。1839年11月2日、ブラックウッドの「馬車亭」という旅篭で秘密集会が持たれ、11月4日の月曜日早朝、ニューポートで3隊による大規模デモを行うことが決定された。フロストに率いられた隊はブラックウッドから、ウィリアム・ゼファニアの隊はエビュー・ヴェイルから、ウィリアム・ジョーンズに率いられた隊はポンティプリッズからニューポートを目指した。その数は5000人と言われている。悪天候に阻まれ到着が遅れたうえ、ニューポートのウエストゲイト・ホテル前で乱闘が起きたときには、それよりも1時間半前に到着していた軍隊から発砲を受け、計画は失敗に終わった。20人以上のチャーティストが殺された。その後指導者が逮捕され、八名に死刑が宣告された。しかしその後減刑され、5名は懲役刑、残り3名はファン・ディーメンズ・ランド(現在のタスマニア)に流刑となった。

  • ニューポート(Newport: Dyfed)(ダヴェド)

    カーディガンとフィシュガードの中間にある。BC2,500年頃の巨石遺跡の残る土地。グウェントのニューポートとは異なる。ニューポート(ダヴェド)は古い城のある町であるが、近くのプレズリー丘陵地は新石器時代の遺跡がある。またここから ストーンヘンジの内側のサークルに使用されている33個の粗粒玄武岩(顕微鏡検査によってのみ成分の決定ができる火成岩)が300Km離れたソールズベリー近郊まで運ばれたという。

  • バーズィー島 (Bardsey)

     リーン半島突端の島。ウェールズの首長フェンリイの名にちなむ。五一六年、カドヴァンにより、最初の修道院が建てられるが、一三世紀、同じ場所にアウグスティヌス会の修道院が建てられた。七世紀、バンゴールの聖職者が虐殺されたとき、九〇〇人がこの島に逃げたという。それ以来、この島は重要な巡礼地となっている。

  • バーシャム (Bersham)

     北ウェールズ、レクサムの郊外の地。一八世紀、製鉄業で栄えた村。

  • バラ (Bala)

    北ウェールズ、ドルゲライの東北25km、バラ湖の湖畔にある北ウェールズの村。ウェールズのメソディスト派の中心地。政治家トマス・エリスの生まれ故郷であり、パタゴニアへの移住を計画支援したマイケル・ダニエル・ジョーンズの学校のあった風光明媚な町。

  • バリー (Barry)

    南ウェールズ、カーディフの南西10kmのブリストル海峡に面する港町。実業家で国会議員であったデイヴィッド・デーヴィスはロンザの彼の炭鉱とバリーを結び、ここに石炭積出港を造った。1911年には1100万トンの石炭積出記録を立てた。

  • パリス・マウンテン (Parys Mountain)

    アングルシー島のアムルックの南約三キロの地。銅鉱山として賑わう。

  • バンゴール(Bangor) 

    大聖堂のある北ウェールズの都市。その名の由来は六世紀にあった修道院の防御用の柵からといわれている。今日の大聖堂は初期の教会の跡に19世紀に建てられた。スノードン山やアングルシー島への玄関となる都市であるが、大学の町でもある。バンゴール大学は1883年に創立されたが、当時はそれ自体では学位を出すことのできない大学(University College)であった。1893年にアバリスツイス大学、カーディフ大学とともにそれ自体で学位を与えることの出来る正規の大学となった。その後、スオンジーとランペターの大学が加わり、現在のウェールズ大学が構成されている。

  • ピクトン (Picton)

    ペンブロークシャー、ハーヴァーフォードウエストの東八キロの地。そこにはピクトン城があり、現在は美術館としても利用されている。

  • ビルス (Builth)

    中部ウェールズ、ブレコンの北二〇キロにある町ビルス・ウエルズのこと。毎年、王立ウェールズ農業協会の展示会の行われる場所として有名。ここから西に約六キロのキルメリの地で、最後のウェールズ王ラウェリンが敗れ、戦死した。

  • フェスティニオッグ地方(Ffestiniog

    北ウェールズ、グウィネズ州のポーツマドッグから東方の地域。

  • ブリジェンド(Bridgend)

    ウェールズ語の名前はPen-y-Bont ar Ogwrで、その意味は「オグール川にかかる橋のたもと」となる。ブリジェンドは橋のたもと、bridge endから。大変古い町で周囲には三つのノルマン式の城がある。

  • ブレコン・ビーコンズ国立公園(Brecon Beacons National Park)

    カーディフから北に車で小一時間の距離にある美しい丘陵地帯で、国立公園に指定されている。ドライブ、ハイキング、キャンプ、ポニー・トレッキングに絶好の地 。

  • フィシュガード(Fishguard)

    アイルランドのRosslare港へのフェリー・ボートの出る美しい海岸の町。1797年2月22日、アイルランド系アメリカ人テイト大佐に率いられたフランス艦隊がこの町の西海岸を襲い、一時この地域を占領したことがある。酒をこよなく愛したウエールズの詩人、ディラン・トーマスの作品、Under Milk Wood がウェールズ生まれの俳優、リチャード・バートン主演にり、この地で1971年撮影された。

  • ヘイ・オン・ワイ(Hay-on-Wye)

    ウェールズのグウェントとイングランドのヘレフォードの境界にある古い町。世界最大の古本の町として有名。

  • ペナダレン (Pen y darren)

     マーサー・ティドヴィル内の、ハムフレイの製鉄所のあった場所。ここでトレヴィシックは、一八〇四年に世界初の蒸気機関車を製造し、走らせた。

  • ペンブローク(Pembroke)

    ペンブロウク城を中心とする町。チューダー王朝の始祖、ヘンリー7世はこの城で生まれた。この町の北にあるドックは1920年代までイギリス海軍の造船所であった。ここでは主として18世紀に木造艦船を建造した。

  • ペンマインマウル (Penmaenmawr)

    コンウイの南西の海岸沿いの地域。古来より交通の難所として有名。現在同名の町がある。この町から南東約二・五キロの場所に環状列石があり、その近くに古代の石器工房の跡がある。

  • ペンモン (Penmon)

     ボーマリスの北北東六キロにあるアングルシー島東端の地。10世紀に、ケルト式十字架が現在の教会の約700メートル西に建てられたが、その十字架は現在は教会内に移され保存されている。

  • ポーツマドック (Portmadoc)

     北ウェールズのグラスリン川の河口にあるドレマドックと双子の町。マドックスにより、19世紀に干拓されて造成された地に作られた町。

  • ホーリーウエル (Holywell)

     フリントシャーの産業都市。この町の名の由来は、634年頃異教徒のカラドック王がこの地を侵略した折り、それに抵抗した娘、聖ウィニフレッドが処刑され、その首が地面に落ちた場所から泉が噴き出したという伝説に基づく。ローマ・カトリック教徒の巡礼の地となっている。

  • ホーリーヘッド(Holyhead)

     北ウェールズのアングルシー島の東部に橋で繋がっている島。アイルランドへの交通の要衝。

  • ポンティプール(Pontypool)

    人口39,000人の産業の町。1720年にスズ、ブリキ板の生産に成功した。またここにはウェールズ最大の人工スキー場がある。

  • ポンティプリーズ(Pontypridd)

    南ウェールズ、カーディフの北東12kmのロンダ渓谷とタフ川の周辺の町。町の名前は「土造りの家のそばの橋」という意味であり、この町には1756年タフ川にかけられた古い橋がある。産業の町。公園にはウェールズ国歌作詞者の像がある。南ウェールズ、カーディフの北東12kmのロンダ渓谷とタフ川の周辺の町。

  • マーサー・ティドビル(Merthyr Tydfil)

    南ウェールズ、カーディフの北30kmの地の産業都市。西暦五世紀、この地の首長ブリキャンの殉教した娘の名前、ティドヴィルの名に由来する。イギリス18世紀中葉から鉱山町として活気と帯びるようになった。1801年の最初の国勢調査ではウェールズ最大の人口、7,000人を有する町となる。 1861年の調査でも5万人でトップであつた。19世紀ウェールズの興隆の原動力となった町。ジョシュア・ジョン・ゲストのドウレイス工場もこの地にあった。ナイルの戦い、トラファルガーの海戦でナポレオンの艦隊を沈めた砲弾はマーサーで作られた。スティーブンソンのストックトン・ダーリントン間の鉄道開通の二十一年前にトレヴィシックの機関車が走ったのもこの地であった。またストックトン・ダーリントン間の鉄道のレールはゲストのドウレイス工場で製造された。

    マーサー・ティドビル

  • ミルフォード・ヘイヴン (Milford Haven)

     西ウェールズ、ペンブロークシャーの港町の名であり、またセント・ジョージ海峡へ続く大きな入江を指す。ヨーロッパ最深の航行可能水路があり、かつては石油産業が栄えた。一四八五年、ヘンリー・テューダーはフランスからこの地に上陸し、ボズワースの戦いに勝利し、イングランド王位についた。

  • メリオネス (Merioneth)

     西ウェールズの旧州。州都はドルゲライ。丘陵地帯から成り、牧畜業や農業が主たる産業。中世においてはイングランドへの抵抗の中心地。ハーレックが当時の首都。一八世紀、スレート業が興る。

  • モンマス(Monmouth)

    ヘンリー5世の生まれた町として知られている。ロールス・ロイス社の創立者の一人、ロールスの生まれた荘園邸宅(マナー・ハウス)もこの町の近くにある。町庁舎前のアジャンクール広場にはヘンリー5世の像とロールスの銅像がある。町を流れる 川にかかる13世紀に造られたマノー橋はタワーを持ち、小さいながらもウェールズの名物の一つであり、今も使用されている。またモンマスの博物館はトラファルガー海戦の英雄ネルソン提督に関するコレクションで有名である。ちなみにモンマスとネルソン提督との関係は、彼が1802年、この町を訪れたことによる。人口6680人。

  • ラグラン(Raglan)

     南ウェールズのグエント州モンマスの南西16キロの地。サー・ウィリアム・アプ・トマスが結婚によりラグランを相続し、1435年、本格的にラグラン城の築城を始める。彼の息子で、ペンブローク伯ウィリアム・ハーバートにより、ラグラン城は現在の形となる。清教徒革命戦争末期の1646年6月からラグラン城は包囲攻撃され、同年8月19日に降伏する。王政復古後、初代ボーフォート公爵はウィルトシャーのバドミントンに館を建設し、ラグラン城は遺棄された。

  • ラネリ (Llanelli)

     スウォンジーの北西約20キロの地にある町。かつてはブリキ製造や、窯業が盛んであった。

  • ラーン(Laugharne)

    カーマーゼン湾にそそぐ Taf川のほとりには、ターナーも描いた12世紀に建てられたラーン城の跡がある。静かな古い村があり、詩人ディラン・トーマスが生活し、詩作したボート・ハウスがある。彼はこの村の教会の墓地に埋葬されている。

  • スランイッドロイス (Llanidloes)

    中部ウェールズのセヴァン川とクリュイドッグ川が合流する地点にある小さな市場町。アベリストゥイスの東35kmの地。

  • スランヴァヘス (Llanfaches)

    チェプストーの西、カイルウェントの北西の町。

  • スランゴレン(Llangollen)

    レクサムはウェールズといえども広い平地に位置しているが、その18km西に当たるスランゴレンは正にウェールズの入り口とでも言いべき谷間に位置している。ディー川が側を流れ、村には古い石の橋がかかっている。「ウェールズの7つの驚異」の一つとなっている。近くの丘の上からの眺めは素晴らしく、多くの観光客が訪れる。スランゴレンは国際民俗音楽会の舞台として近年特に有名になっている。

  • スラントゥイット・メイジャー(Llantwit Major)

    古名はスランイルティッド・ヴァウル(Llanilltud Fawr)。ブリストル海峡に面した南東ウェールズの村。この地に六世紀、ブリトン人のイルティッドにより学院が設立された。セント・デイヴィッドもこの町の修道院で学んだ。近くにはセント・ドーナッツ城があり、今はアトランティク・コレッジとなっている。ここでは毎年クラフト・フェアが開催される。

  • スランゲイソー (Llangeitho)

    西ウェールズ、ランペターの北12km、トレガロンの西6kmの地 の小村。

  • スランダフ (Llandaff)

    南ウェールズ、グラモーガン州カーディフの郊外。スランダフ大聖堂は六世紀、聖テイロにより創立。

    スランダフ大聖堂

  • スランデュデュノ(Llandudno)

    コンウイ近くのウェールズ1番のリゾート地であり、英国でも有数の保養地となっている。海岸に面しビクトリア朝様式のホテルが整然と立ち並ぶ様は優雅さに満ちている。

  • ランペター(Lampeter)

    Teifi川の上流にある町で、この地域の行政中心地。 この町には1822年に設立されたセント・デイヴィッズ・大学(St. David's College)がある。

  • スランベリス(Llanberis)

    この村はスノードン山の麓に位置し、登山者のベース基地となっている。スノードン登山鉄道を利用すれば、山頂まで直接行くことができる。スランベリスはスレート採掘の村であり、当時スレート運搬用に施設された狭軌鉄道が現在は観光用の列車として運行されている。

  • スランドリンドッド・ウエルズ(Llandrindod Wells)

    スランドリンドッド・ウエルズはその名のウエル(Wells)の示すように、鉱泉の湧く土地である。100年前はこの鉱泉の水を求めて何千人もの人々がこの地を訪れたという。そして現在もまだ売られているという。町は大変美しい ジョージア朝の高層の建物が立ち並ぶリゾートとなっている。

  • レクサム(Wrexham)

    北ウェールズの最も重要な産業の町であり、日本企業も多く操業している。立派な商店や美しい教会、公園のある町でもある。レクサムの教区教会であるセント・ジルズ教会の40m以上ある高い塔は、ロンドンの国会議事堂の塔を髣髴とさせる堂々たる風格でレクサムの町にそびえている。その塔の複製がアメリカのエール大学にも建造されている 。

    レクサムの古い産業としては、ミネラの鉛採掘、バーシャムの製鉄、そしてルアボンのテラコッタがあった。中でもバーシャムの製鉄産業は有名であり、鉄器製造業者であったジョン・ウイルキンソンはジェームズ・ワットの蒸気機関のシリンダーを制作し、英国の産業革命に多大な貢献をした。

    近年のレクサムの主要産業は石炭採掘、製鉄、煉瓦作り、それに皮のなめしであった。なめし業に関しては戦後ほとんどの工場が閉鎖されてしまい、煉瓦はもはや生産されていない。炭坑が閉鎖されたレクサムの産業の衰退を救ったのが、海外からの投資であり、海外企業の進出であった。日本からはシャープ、ブラザーが工場を操業し、テレビや電子レンジ、プリンターを生産している。

  • ロース・ラネルクリゴッグ (Rhos Llanerchrugog)  

    レクサム郊外3kmの地の大規模な村。ウェールズ最大の村とも云われる。かって鉱山の村として賑わう。

  • ロンダ渓谷(Rhondda Valleys)

    カーディフ北西部20kmの所にある炭坑町。英国における最も有名な炭田地域。1850年までは道もない荒野であったが、それ以降石炭産業が興り、炭鉱労働者の住居や非国教会系礼拝堂が建てられ、八〇年後には人口一四万人を擁する地域となった。リチャード・ルエリンの「わが谷は緑なりき:How Green Was My Valley」の舞台となったところ。