〔どんど の たぬき〕

 昔のお話です。跳ね坂の「どんどの滝」に仲の良いたぬきの夫婦が住んでいました。小だぬきも生まれて大変喜んでいました。ある時大雨が降り、かわいそうなことに子だぬき達が皆、水に流されてしまいました。親だぬきの悲しみは、例えようもありませんでした。それからです、たぬきの夫婦のいたずらが始まったのは。
 まず、その頃の五井の人達の様子からお話しましょう。ほとんどの人が農業にたずさわっていました。大家族で住み、子供は多く生まれましたが、病気などで死んでしまう子も多かったのです。また、今のようにみんなの家にお風呂があったというわけではないので、「もらい風呂」といって、よその家のお風呂に入らせてもらったりしました。あるいは、何軒か交代でお風呂を沸かして、その家に入りにいったりもしました。その他、あかちゃんに与えるお乳が出ないおかあさんが、お乳の余っている人の所へ飲ませてもらいに行く、「もらい乳」もありました。生まれても多くの子供が死んでしまったので、お乳が出ても飲ませる子供のいないお母さんも多かったのです。
 そういうわけで、みんなが色々なことで助けあって生きていました。昼間だけではなく、お風呂やお乳のように、小さい子供を連れて、真っ暗になってからよその家へいかなくてはならないことも沢山ありました。
 その頃は、電気なんてありませんので、夜道は本当に真っ暗です。月夜ならまだ良いのですが、月の無い夜なんて全く何も見えません。
 その頃、「闇夜に子供を連れて歩くと、子供が取り替えられる。」という騒ぎが続けて起りました。行方不明になるのではなく、次々子供を取り代えられてしまうのです。夜道で子供を連れて歩かなくてはならないときには、目印のために自分の子供の顔に墨を塗ったくらいです。
 ある晩のことです。お風呂をもらうためにおかあさんが二人の子供を連れて歩いていました。一人はおんぶして、もう一人の手をつないでいました。誰かが後ろから近付いてきて、「もしもし」と肩をたたきます。突然なのでハッとして、後ろの子供を守るように両手を背中にやりました。その瞬間歩いていた方の子供の手を放してしまいました。「しまった」と思ったときにはもう遅く、子供はいなくなってしまいました。大声で名前を呼びながら探し回ったのですが、真っ暗闇でどうしようもありません。しかたなく、家に帰ってそのことを告げ、またみんなで探しに出かけました。
 さっきと同じあたりまで来ると、「おかあちゃん、おとうちゃん。」と呼ぶ声が聞こえます。いつの間にか子供はそこに戻って、一人で待っていたのです。「よかった、よかった」と抱き上げると、子供は「さっきのおじさんに、おまんじゅうもらったよ。」と竹の皮の包みを差し出しました。「妙だな」と思いながらも真っ暗なので、ともかく家に帰りました。火のそばで包みをあけてみると、なんと中身は‘馬糞’(ばふん:馬のうんち)でした。
 しばらくそんなことが繰り返されていましたが、あるときからピタッとなくなりました。「どんどの滝」のそばを通ると、こだぬきのじゃれる姿を見かけました。あかちゃんが生まれたんですね。
 「どんどのたぬき」は決して悪いたぬきではありません。洪水で子供が流されたのが悲しくて、いたずらしてしまったのです。「どんど」には、村人のお墓があります。たぬきたちは、お墓参りの人達がお供えして行ったおまんじゅうやお菓子のお下がりをもらって、食べていました。ところが、しばらくしてそのお墓に行ってみると、必ずお墓のお花がきれいに代わっています。村人は「どんどのたぬきよ、ありがとう。」と、そっとお礼をいいました。
 「どんどのたぬき」にはその後たくさんの子供が生まれました。月夜の晩には「どんどんどんど、どんどんどんど」と、みんなで腹つづみを打つ音が鳴り響き、その音は年々大きくなっていったそうです。

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