ウェールズの交通標識
ウェールズでは、イングランドとの政治的、文化的な関係から、伝統的なウェールズ支配階級は英語を使用し、英語およびイングランド文化を好む傾向にあった。そのため、ウェールズ語は一般大衆によって使用されるだけになり、政治、文化、経済、学問の諸分野では、ウェールズ語の重要性は著しく低下した。
自発的に、またある時は強制により、一般ウェールズ人も、しだいに英語式の姓名を名乗るようになった。
例:Cadwaladr ap Cadwallon ap Cadfan
ap〜は、〜の息子の意味で、上記は「カドヴァンの息子カドワロン、その息子カドワラデル」を意味する伝統的なウェールズ人の名前。
しかし、イングランドとの関係で、ウェールズ人支配層はイングランド化し、次第にイングランド風の名前に変えていった。すなわち、支配層のウェールズ語使用の低下が起き、ウェールズ語は一般大衆により使用された。
例:Enoch ap Hywel ----→ Enoch Powell
Pritchard(ap Richard), Probert, Upjohn
(cf. スコットランドでは息子は"Mac"であり、 MacArthur, MacDonaldとなる。)
アイルランドでは息子は"Mc"と綴り、従って、McAdam, McNeil となる。
また子孫を意味する"O'"を付けて、 O'Brien, O'Connor, O'Neilとした。
英語では、息子"son"が使われた。Johnson, Richardson
北欧では息子に当たる"sen"を付けて、Andersen, Hansenとなる。
Jones, Davies, Hughes, phillips, Roberts
この種の名前は数が実に多い。(ウェールズ伝記辞典にはJonesは54人掲載されている。)ということで、職業や身体的特徴を付けて使用したりする。例えば次のようにである。
Jones the Fish, Jones the Bread, Jones the Spy
この様な名前のイングランド化に抵抗して、次のような署名をしたウェールズ人が18世紀にいたという。
Sion ap William ap Sion ap William ap Sion ap Dafydd ap Ithel Fychan ap Cynrig ap Robert ap Iorwerth ap Rhyrid ap Iorwerth ap Madoc ap Ednawain Bendew, called after the English fashion John Jones
裁判や行政といった公的場面でウェールズ語の使用は禁止が禁止されていた中、ウェールズ語訳聖書が完成し、それが教会で使用されるようになた。またその聖書の、いわゆる小型版聖書は、個人や一般家庭で買うことの出来る廉価版であったため、その聖書はウェールズ人にとって、読み書きの基準となた。
産業革命の進行とともに、アイルランドやイングランドからの夥しい人口移入があった。それにともない、ウェールズ語使用率は低下した。
ウェールズ語にたいする内なる偏見として、教育現場においてはウェールズ語を喋った生徒にたいし罰が行われたことさえある。
1801年 | 80%以上 |
1851年 | 67% |
1891年 | 50%以上 |
1911年 | 40% |
1931年 | 36% |
1951年 | 28% |
1960年代 | 20% |
1981年 | 若干の上昇 |
ウェールズ語保存・擁護運動
ウェールズ青年連盟は、ボーイスカウトと同様の組織であるが、そこではウェールズ語の使用が義務づけられている。サマーキャンプや、吟唱詩人大会を行う。
1981年をベースにすると、1991年には3〜15歳までのウェールズ語を話す人口は22.8%増加した。
Legal Status of the Welsh Language(1965)や、the Welsh Language Act(1967)により、ウェールズ語に英語と同様の効力を持たせた。道路標識や公文書は2ヶ国語表記となった。
1982年11月1日、 S4C(Sianel Pedwar Cymru) というウェールズ語TV放送局が開局された。またBBC Wales, HTV Walesもウェールズ語放送を始めた。