ガースの丘
The Englishman Who Went Up a Hill But Came Down a Mountain
<ストーリー>
1917年、アンソンとガーランドという二人のイングランド人が地図作成のため、南ウェールズのある村に、ファノン・ガルーの山の高さを測るために訪れた。村人はその山が、イングランドからウェールズに入ると最初にある山として誇りに思っている。二人の到来により、村人はパブで山の高さについて賭をしたりして結果を待つ。その結果は299メートルであり、地図にのせるためには305メートル以上なければならない、すなわちかれらの「山(mountain)」は「丘(hill)」であるということになり、一同おおいに失望する。
これに対し村のジョーンズ牧師はあと6メートル積み上げて305メートルの山にしようと呼びかける。再測量をしてもらうため村人は色々な細工をして、かれら二人を村から出られないようにしてしまう。その間、村人こぞり土を山頂に運ぶ作業が始まる。雨が作業を阻み、積み上げた土を流してしまう。日曜日、雨は上がり、安息日にもかかわらず村人は作業を続け、村人の熱意に動かされたアンソンは再測量をするが夜となり正確な測量ができない。翌朝かれはファノン・ガルーは山であると宣言する。
『ウェールズの山』を鑑賞する上での ヒントを挙げてみました。
映画「ウェールズの山」のモデルになった山がある。2001年8月17日、このホームページ制作者はこのモデルとなった「山」に「登頂」した。
その山はカーディフの近郊、カステル・コッホという美しいお城がある近くのGwaelod-y-Garthの村の北にある。ガース丘がそれである。地図で見るとTaff's Wellとある近くである。まったく木の生えてないイギリス独得の羊が草をはむ丘。頂上に近づくと、その丘の頂上に、明らかに人為的に土盛りした「小さな丘」が見える。
その小丘のてっぺんに突起物がある。そこに登ってみると、それは測量の基準点となる三角点の石の標識であった。そこには金属のプレートがはめ込まれている。
小丘の下の方に何やらもう1つプレートのはめ込まれた石がある。読んでみると、この「小丘」についての説明である。
実は、この「小丘」はB.C.2000年頃の埋葬塚であるとのこと。南イングランドのソールズベリーにストーンヘンジが造られたころであろう。その丘からの眺めは素晴らしく、360度の眺望が楽しめる。カーディフの町やウェールズの大地、その向こうにブリストル海、その海峡を挟み、向こうにイングランドの陸地が見える。北に目を向ければ、はるかブレコンの山々が眺望できる。このような場所に、さぞ名のある古代の王が埋葬されたのであろう。
この丘はまさに映画「ウェールズの山」のストーリーの条件に一致している。丘の上に盛り土があること。測量の後があること。カーディフに近いこと。列車が近くを通っていること。古代の王(映画では牧師)をそこに埋葬したこと。これらの条件から、ストーリーを作るとすると、映画「ウェールズの山」ができあがるのです!
行き方
M4のCardiff Westのランドアバウトを北にA470に出る。すぐ次にある小さなランドアバウトと左折。次のランドアバウトをGwaelod-y-Garth方向へ向かう。逆のRadyrの方に行ってはならない。すぐにGwaelod-y-Garthに着く。山が前方に見える。その他に山はないのですぐにわかる。その村から登る道があるが、地滑りで危険とのことで西から登る。Gwaelod-y-Garthの村に入らないでそのまま道路を直進。右手にLewis Arm というパブがあるが、そこを右折。またパブがある。三叉路に出る。そこを右折。狭い道を道なりに進む。木々のトンネルを通り右に折れる小道に入る。行き止まりに車を止める。家のある舗装された急斜面を登ってはいけない。駐車した場所から道なりに獣道を進むと山頂にでる。
ウェールズ人のこよなく愛するカデル・イドリス(イドリスの椅子)にも登りました。その時の写真です。