五井城趾

 廃城から400年を経た中世城塞の跡。平安末期、新宮十郎源行家(しんぐうじゅうろう みなもとの ゆきいえ)が居城していたと伝えられる。五井鵜殿(うどの)氏の代々の居城であったが、やがて、鵜殿氏を滅ぼした松平忠景の居城となった。その後、五井松平6代忠実が関東に移封して廃城となった。八幡社の前の池は、五井城の堀の一部といわれている。つい数年前まで、池の東南部から東西に伸びる土塁が残されていて、往時をしのばせたが、破壊に先立ち、正式に発掘調査された。
 現在も、土地の造作から、真清寺あたりを大手門とし、その北の高台を中心として、館が営まれていた様子が彷彿として浮かび上がる。城の東は、現在では、道路を伴う人工の用水となっているが、往時は堀の一部を形成していた可能性もある。真清寺の山門が五井城の門であるとも、長泉寺の山門がそれであるともいわれる。
 


五井城跡
Ruins of Goi Castle


新宮十郎について
 熊野の新宮に住んだ、源行家のこと。頼朝の叔父にあたり、以仁王(もちひとおう)の令旨を持って全国の源氏に挙兵を促してまわる。尾張、三河の兵を集めて平氏と戦うが敗退。木曽義仲とともに平氏を追って京に入った。義経とともに平氏を西国に討つが、頼朝によって、和泉に潜伏中を襲われて殺される。一代の英雄であるが、源義経と比べてあまりポピュラーでない。局地戦では圧倒的な敵に少数の軍で挑み、敗退している。平氏に対する源氏の挙兵を実現した戦略家としての功績は大きいが、平氏追討後の頼朝には邪魔者となったのだろう。五井城に居住した「十郎蔵人行家」は、別人との説もある。

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