五井町の名の由来

 五井という地名の由来には、諸説ある。以下、箇条書にする。
(A)行基菩薩が、当地を通ったときに、5つの井戸を掘った。その古事に由来するとする説。この説は、五井では、昔から言い伝えられており、最も広く信じられている。(第一部第三章2の(3)「五つの井戸の伝説」の項参照)
(B)井は井戸ではなく、その字の形から、東西南北に通ずる交通の重要拠点を意味する。すなわち、お互いに交流する地という意味で、「互井」と呼んだ。その名に由来するとする説。
(C)五井の山向こうには、「御油」(ごゆ)という地名がある。五井(Goi)と御油(Goyu)は元来、同じ名(Goy)であり、その意味は既に失われたとする説。御油の東方に、「下五井」という地名があることがこの説の補強材料である。

〔地名学的考察〕
 地名学の教える所では、地名は極めて良く保存され、人種や民族が入れ替わっても、元の地名が伝えられるという。五井の地名も、あるいは、先住民の言語で解釈できるのかもしれない。使われた文字は、語源を探る上で決定的ではない。なぜなら、和同6年の『延喜式』で、「おおよそ諸国部内の郷里等の名、みな二字を用い、必ず嘉名を取れ」と指示されているからである。
 ちなみに、「地名用語語源辞典」(樟原祐介、溝手理太郎編、1981)をひもとくと、

 ごい〔五位、五井〕
  (1)ゴウ・ヰで「川」を意味する語を重ねた地名か。
  (2)オイ(意悲)の転(吉田東伍の説).
  (3)オイ(負)の意か。
  (4)オ(接頭語)・ヒ(樋、川の意)という地名か。
  (5)ゴユ、コユの転。・ごゆ
  (6)ゴウ(川の意)・ユ(水の意)の約で、
    河川を意味する同義語を連ねた地名か。

とある。
また、同書の御油の項には、

 ごゆ〔御油〕
  (1)御油田の略で、寺社の灯明油に当てられた田の意か。
  (2)ゴヰ(五井)の転か。・ごい
  (3)動詞コユ(崩)から、「崩落地形」を示す地名か。
  (4)動詞コユ(越)から、「峠道を越える所」の意か。

とある。「ごい」の項には「ごゆを見よ」、「ごゆ」の項には「ごいを見よ」とあり、どちらが先とも決め難い。
 上書の編者達を含む、「古代地名語源辞典」(1981年、東京堂)では、こゆ(児湯)の章に、「コユ、ゴユという地名が各地にあるが、いずれも峠路にのぞんだ地、および、その付近の山名である。コユは『越ゆ』の意か。」
と記載されている。当地では、川は考えにくいので、峠ないし崩落地形の方がまだしも適合しそうである。
 五井と御油は発音上、相当に違いそうな気がするが、実際に御油から五井へと変化した例がある。それは、豊橋の下条西町の五井で、中世にそこに「御油」村があったが、近世に「五井」村となったという。(日本地名大系23巻「愛知県の地名」1981参照)
 全国には、「ごい」の地名そのものは決して多くない。全日本地名辞典1996年版(三省堂)には、
  富山県西礪波郡福岡町五位
  千葉県市原市五井
  千葉県長生郡白子町五井
  愛知県豊田市畝部西町字五位
  北海道中川郡幕別町字五位
があげられている。
これ以外には、奈良県橿原市にも五井町がある。
角川の地名辞典もこれ以上を教えてはくれない。
 最も本質的な問題として、五井は、果たして村名か、それとも山名か、どちらが先か、がある。五井山のふもとにあるから五井村なのか、五井村の裏にあるから五井山なのか、という疑問である。本当のところはよくわからない。この問題を含め、より本格的な分析を行うには、全国小字地名の徹底的調査が必要であろう。

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