Clarinet
今は3楽章、シングルリードと漆黒のボディーから鳴り響くラフマニノフ。
それはあまりにも美しく、思わずため息が零れるAdurの旋律。
・・・たまたま、だったんだ。たまたま色んなことのタイミングが悪かっただけだった、どちらが悪かった訳ではない。
あぁだから、後悔がないと言えばそれは嘘になるが、別に恨んでなどはいない。
このホ短調交響曲の代名詞となっているあまりにも有名過ぎるフレーズを
どうしてフルートやオーボエではなくクラリネットに歌わせたのだろうか。
それはこの楽器の魅力である。混ざり繋げる、伴奏を消し過ぎないその絶妙な音楽を作りあげる。
そして音色は素朴で安心するもの。愛おしむ気持ちさえ忘れがちなこの幻想的なもの・・・・
こんな音楽を作れるのはクラリネットをおいて他にはなかろう!
大切だと思っていてもやはりそこにはエゴが存在するし、
純粋な優しささえも見方を変えれば勝手な感情の具現に成り下がる。
でも、それでもきっといいのだろう。
クラリネットはきっと他のどの楽器よりも性格が人間的で、人間的ということは不完全ということ。
あぁこの旋律にぴったりではないか?
イ長調は、もっと主張が強く持つ美しさはどこか現実離れしたもの、そんなイメージがこれまであった。
そう、こんなにも優しいイ長調はきっとこの曲をおいて他には存在しない。
こんなにも美しいイ長調の具現化はクラリネット以外では絶対に不可能だ。