シャーロット・ゲスト
ウェールズ中世騎士道物語集『マギノギオン』の英訳者・製鉄王の妻
シャーロットは1812年に、第9代リンゼイ伯の娘としてリンカーン州で生まれた。(ウェールズ人ではなく、イングランド人である。)少女時代に文学に目覚め、特に中世の歴史や伝説に興味を持った。さらに彼女は東洋に関する文献を多く読み、ペルシャ語を学んだ。21歳でロンドンに移り、そこで南ウェールズの製鉄王ジョン・ゲストと知りあい、1833年に彼と結婚した。南ウェールズの製鉄の町マーサー・ティドヴィルに移り、夫の経営するドライス製鉄所の近くにあったゲスト家の大邸宅で暮らした。
マーサー・ティドヴィル
製鉄業に興味を持ち、従業員や地元の人々の福祉のための仕事を始めた。学校の近代化につくし、成人学級を開いた。彼女は定期的に学校を訪れ、新しい教育法を導入し、時には自ら教壇に立った。政治や社会問題、ロンドンの社交界や製鉄所の経営に強い関心を示す一方で、彼女はウェールズ語を学び、また家庭生活を尊重した。
講演するシャーロット・ゲスト
シャーロットが長年、興味を抱いてきた中世文学は、夫の生まれ育った土地ウェールズと結びつき、ケルト人の歴史への興味を喚起し、中世ウェールズ騎士道物語の英訳として結実した。『マビノギオン』がこれである。英訳にあたっては、トマス・プライス、ジョン・ジョーンズその他の協力を得た。1838年に第1巻が出版され、1845年までに『マビノギオン』の7巻が出版された。1877年版の『マビノギオン』はテニスンの『国王の牧歌』に影響を与えたという。
1852年、夫ジョンが死去し、シャーロットは製鉄所の経営を引き継ぎ、成功を収める。1855年に息子の家庭教師であるケンブリッジ大学卒のチャールズ・シュレイバーと再婚した。製鉄所の経営は他者に委ね、二人は磁器蒐集の旅に出た。彼らの蒐集したイングランド磁器は、いわゆる「シュレイバー・コレクション」として、ロンドンのビクトリア・アンド・アルバート博物館に所蔵されている。
1884年、シャーロット72歳のとき、シュライバーは世を去った。彼女はその後も収集した磁器のカタログ作りを継続した。1870年代後半より、彼女は蒐集品として扇の購入を始めていた。1887年、扇に関する書物を出版するために、彼女は大英博物館のアウガスタス・フランクスと共に作業を行ない、1888年にイングランドの扇に関する本を、また1890年にはヨーロッパの扇に関する著書を出版した。彼女の蒐集した扇は1891年、大英博物館に寄贈された。1892年から1895年にかけて、世界のトランプに関する本を出版した。シャーロットは生涯、あらゆる労働者の福祉に積極的に取り組み、1895年、2度の幸福な結婚生活を含む幸せな生涯を閉じた。