これからの土木計画についての私見

小池則満

土木工学は、英語では、CIVIL ENGINEERING、すなわち「市民工学」と呼ばれます。 対象としている分野が、道路、鉄道、都市開発、水資源、防災等々、人々が生活していくために 「どうしても欠かせないものをつくる工学」であるため、市民工学と呼ばれるのだと解釈できます。

しかし日本語では、「市民工学」では、何をやっている学問かよくわからなくなるために 社会の基盤となるものを作る工学ということで、社会基盤工学と呼ばれることも多いです。 あるいは、国が成り立つために必要な工学ということで国民工学と呼んでも、本当は良いのかもしれません。

このような背景から、土木計画と呼ばれる分野では、この「市民」に対して、 どのような社会基盤を提供すればよいか、議論がなされています。 本来は、これはそれほど難しい問題ではないはずです。 だれでも、災害は怖いです。満員電車は嫌です。渋滞はうっとおしいです。早く目的地に着きたいです。 したがって、より円滑により安全により効率よく社会基盤をつくる方法だけを考えれば、それでよいはずで、 それほど議論をしなくても済む話です。 実際に昔はそうでした。 日本に土木学会が創設された明治時代には、土木計画と呼ばれる分野は存在せず、 独立した分野として確立したのは戦後になってからです。

しかし、一口で市民と言っても、考え方は人それぞれです。 市民は「多様」かつ「移り気」です。 反対意見を述べる方も市民ならば、賛成の声も市民です。声が大きい人もいれば小さい人もいます。 時代は激しく動きます。 建設が計画されたとき酷評された施設が、日本に欠かせない施設として何十年も使われていることも多いのです。 東海道新幹線などはその好例でしょう。 また、新しい施設に対して、政治家の利権のためだ、などという論調も多いですが、忘れないで下さい。 その政治家を選んでいるのは、主権者たる国民(市民)なのです。

このような「市民」の声をどうして汲々としてくみ取らなくてはならないのでしょうか。 そもそも誰もが納得する合意形成など、可能なのでしょうか。 文句を言われない公共事業などあり得るのでしょうか。

では、いったい何をよりどころにして社会基盤を整備していけばよいのでしょう。 私が考えるのは、「他の分野の専門家に評価してもらえる研究分野であること」が、 これからの土木計画には必要ではないかということです。 計画段階から、さまざまな分野の専門家、たとえば環境、医療、防災、歴史文化などなど、多くの分野からの意見をくみ取り、 より最適な解を求めていく、すなわち橋渡し的な役割が、特に土木計画に携わるものには期待されていると思います。 このような取り組みが進めば、自ずから公共事業に関する意味不明な批判はなりを潜め、 もっと冷静できちんとした判断が行われるようになるのではないでしょうか。

(もちろん、漠然たる集団である市民とは如何なるものか?を真正面から見据え、あるべき合意形成について論じるスタンスを 否定するつもりは毛頭ありません。念のため)

今回の、東日本大震災で、改めて社会基盤、すなわちインフラの重要性が再認識されました。 復興、復旧、さらにはエネルギー政策の転換も受けて、土木工学に対する社会的注目は否応なく高まっており、 これまで以上に広い視点が求められています。

土木計画を目指す学生さんには、ぜひ「土木」という殻に閉じこもることなく、 さまざまな研究分野と土木を結びつけるようなスタンスを大切に、研究に取り組んで欲しいと思います。 一緒に頑張りましょう!






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